どうして面会交流をしぶるのか?
別居の結果、子どもに会わせてもらえない親御さんからの依頼を受けて、子どもとの面会交流を求めて家事調停及び家事審判の代理人を務めることが多い。
そうした中で、お子さんに会うことを求める側の親御さんは、1分でも1時間でも長く子どもと一緒にいられることを求める。
これに対する相手の親のリアクションとして、「いや1時間なら」とか「いや1時間でも長い。30分だ。」というように、少しでも面会交流の時間を削ろうとする親もいる。
一般の人がこれを聴いたときのリアクションも様々だと思う。もちろん「30分なんて酷い!!」という所感も多いと思う。
しかし、私としては、長らくこんな疑問を持っていた。
「え、もっと自分の時間とか欲しくないですか?」
だった。
もちろん、別居後実家で暮らしているとか例外はあれど、基本お子さんを引き取って、1日の短くない時間を育児にあてているはず。
そうであれば、映画を見に行くだとか、好きな本を読むといった時間をとれていないのではないか。夫婦の片方が面会交流ということで預かってくれるなら万々歳ではないのか、などと思う。
これについて、一つの回答を相談者がくれた。
「それは、ですね。大変な時間は全部こっちに押し付けて、面会交流っていう楽しい時間だけ過ごされるのが癪にさわるんですよ」
なるほど。そういう発想もあるかもしれない。
私は仕事として面会交流に関与しているので、面会交流を拒む相手方の思考、内在的論理、感情というものは非常に重要な手掛かりになる。
この相談者の案件は結局依頼には至らなかったが、相手の思考を読む際の一つのカギをもらえたという意味で、非常に有意義だった。